子供たちよ、刀を置いて夢をつかめ(韓国月間中央 2011年1月)

海外ルポ 2008 ケニア暴動の震源地 ‘リフト·バレーを行く’

 子供たちよ、刀を置いて夢をつかめ

‘アフリカン·ドリーム’を植えるコリアン

文顯進氏が率いるGPF財団、引き裂かれた童心に平和の人性教育

ケニアは食料·人的資源の豊富な 東アフリカの関門— 地域頂上‘平和会議’も

 

新年の希望の炎が、遠くアフリカ大陸にも燃え上がろうとしている。2008年に1500余名が死亡したケニア流血暴動で、最も深刻な被害を被ったリフト·バレ-、火災で骨組みだけ残った建物、店と家を失った難民たちのテントが依然として並んでいるこの地域に、韓国人が率いるGPF財団が平和の風を吹き込んでいる。

砂糖のような目をした子供たちが、カメラの前に押し寄せてくる。フラッシュが起こるたびにどっと笑う。アフリカの子供たちの服は、どうしてこんなに大きいのだろうか。大きな服の中にくるくる回る子供たちのか細い体。腕の長さより一回り長い袖をぐるぐる巻いて着たり、垂らしている。それでも子供たちは笑っていた。切望するような黒い瞳に心を動かされて、カバンの中のキシリトールのガムを出しそうになった。ガムはせいぜい10個余りであったが、子供たちの数は100人を超えていた。一瞬押し寄せた浅はかな同情心と感傷を抑え、子供たちをじっと見つめた。

ムタテ(MUTATE)スクール、ケニア西北部の人口300万人のナクル市からそれ程離れていないエルボゴンという田舎町にある学校だ。ケニアの8つの州の中の一つであるリフト·バレー(Rift Valley·東アフリカ地溝帯)に属している。

2010年11月22日、取材チームは、ケニアの首都ナイロビから西北の方向に200 kmをずっと走って、この学校に到着した。3、4時間は優にかかる道路は、全く舗装されていなかった。がたがたする道路に悩まされながらも疲れなかったのは、東アフリカ最高の穀倉地帯として知られているリフト·バレーの風景の中を走ったためだ。北は西アジアのヨルダン峡谷から、南はモザンビークのデラコア湾に至る、世界最大の地溝帯の中の一つであるここの風景は、絵のように美しい。果てしない青い草原が広がり、土地は肥沃だった。本当に飢餓と疾病に悩まされるアフリカ大陸であるんだろうかと、疑懼の念を抱く程であった。

わずか2年前に、この平和で肥沃な土地では、大規模流血の惨劇が起こった。2007年ケニア大統領選挙直後、不正選挙疑惑をめぐる暴動で、ナイロビ市内を始めケニア全国で暴動が広まり、死亡者が続出した。当時コフィ·アナンUN事務総長は、ケニアの平和のために仲裁に入り、結局紛争の原因となっていたルオ族とキクユ族の連立政府成立で、悲劇は幕を下ろした。この暴動で亡くなった1500余名の死亡者の大部分が、リフト·バレー地域の出身だった。

2000年にオープンしたムタテスクールも、2年前の惨劇の渦中にあった。暴動の期間中、互いに異なる種族間の戦いで校舎が全焼したのだ。暴動の真っ只中で、子供たちは訳も分からないまま武器を取り、憎悪と復讐心を育てた。

この学校で出会ったポール·ジェンガ校長は“木製の机と黒板だけでなく、子供たちの本とノート、成績表など学校の資料がすべて焼けてしまった”と言いながら、“その時、子供たちの希望も共になくなってしまった”と言った。

傷が癒え、学校は再びオープンした。ケニアの企業家マヌ·チャンダリア会長(コンプレプトグループ)の支援で2009年1月再建したのだ。現在小学生507名と中学生111名が通っている。学校は広い校庭の片方に’ㄱ’(ハングルの子音母)の文字の形に教室と図書館がある建物が建てられた。教室の中を眺めてみたら、垢がたくさん溜まった壁に、木の机いくつかと椅子がすべてだった。低学年の子供たちが、学校の校庭にみんな出てゲームをして遊んでいたせいで、教室は余計に物寂しく見えた。図書室だと称する所に行ってみたら、表紙もなくぼろぼろになった本3,4冊がすべてだった。校長は“暴動以後あらゆる支援や後援も途切れたまま”と言い、“火で焼けた学校を、今のこの程度にまでも再建したのが奇跡”と言った。学校が再建されて最も大きな変化の中の一つは異なる種族同士が共に学校に通っているという事実だ。暴動の前には地域の住民の多数を占めたキクユ族子供たちだけが通っていたこの場所に、様々な種族の子供たちが交わり、共に勉強しサッカーをする。この村の責任者(韓国の面(ミョン)長格)であるワム・ブグ氏は“他の学校は在学生がすべて単一部族で構成されているが、ここは(異なる部族が共に通う)唯一の学校”として紹介した。この為、異なる部族と共に共存する訓練を自然に身につけることができ、紛争の火種も治まっているという。

この学校のニュースは住民和合と治癒、希望の象徴になり、ケニアの国民に伝わっている。特にこの学校が学生に教えている教育プログラムの中の一つが、人性教育だ。自分の部族だけでなく人種共同の平和と人間尊重、平和の価値に対する人性教育プログラムが別途の授業で進行される。

ワム・ブグ氏は“この学校の人性教育プログラムを提供している所が、韓国人文顯進会長が率いるGPF(Global
Peace Festival)財団”だと言う。

幼い時から刀の戦い方を学ぶ子供たちに人性教育

ネパールやウルグアイなどの開発途上国や、低開発国家の自立を助けているGPF財団は、2009年からリフト・バレー地域の人性教育と、青年団体の和合を図っている。平和警察は2008年暴力事態を平和的に解決するため設立された、州政府傘下の特殊独立部署だ。平和警察の最も重要な任務は、暴動の兆候を早期に発見して、調停の役割をしながら武力衝突を予防することだ。

学校に行く前に、ナクル市にあるリフト・バレー州庁舎を先に訪問した。ここで出会った平和警察の責任者であるマクレロ・ルック警官の言葉を聞いてみよう。

“この地域の子供たちは、幼い頃から自分の部族のため命を懸けて戦うことを教育され、矢を射る訓練、刀での戦い方から学んだ。そうして2008年暴力事態のように部族間の利害関係がぶつかるようになれば、極悪な行動を犯す戦士として動員される。”

彼は続けて、“平和警察はGPFと関連した青年会員と協助して、危険の可能性のある地域に早期警報システムを作って、このシステムはたいへん成功的に進行している”と言った。

ちょうど取材チームが学校を訪れた日、学校の教室ではバランガ・ジョジェフという教師が、上級班の学生を対象に人性教育をしていた。彼は自身を平和警察だと紹介し“GPF財団が提供した教育内容で学生を指導している”と説明した。

GPFの人性教育プログラムは人権の尊厳性を目覚めさせ、青年たちに部族を超え全人類が共に生きていけるという意識改革を実施する。現在ケニアの青少年体育部が行政支援を提供して、ケニア政府が設立した‘ブランド・オブ・ケニア’が参加者の宿泊・食事・交通費を支援する全面的な支援の中で、全国的に拡大、実施されている。この教育に参加する青年は、ケニア政府の一つのパートである青少年体育部が、各地域で一定の基準によって選抜している。

GPF財団は、葛藤が激しいいくつかの地域で、青年の為の事務室として提供するためコンテナを購入した。多様な部族の青年が集まり平和を論議して人性教育、スポーツ、環境改善、‘平和のバン’のように共同でできるプログラムを進行する。‘平和のバン’は、和解と仲裁に意欲のある青年をリフト・バレー地域へ乗せて運んだ。

ポール・ジェンガ校長は“この学校が建設された後地域が平和になった”と言い、“父兄を集めて、なぜ私たちが平和のために働くのかを説明した”と言った。彼は“一週間に一度ずつ、各地域の種族代表で構成された平和委員会が召集され、平和について論議している”と言った。

平和委員会には、GPFの人性教育を受けた村の青年も所属している。ジョゼフのような青年が学校に来て学生に人性教育をしながら、地域の平和維持のために一定の役割をしているのだ。

GPF財団のケニア人性教育担当者であるアーサー・オヤンジ局長は、取材チームとのインタビューで“現在ケニア青少年体育部と協力して、ケニアの49の州の内すでに25の州にGPFの人性教育プログラムを紹介・導入していて、これを継続して拡大中”と言った。

アメリカの権威あるブルッキングス研究所のアフリカ担当者であるムワンギ・キメニ研究員は‘ケニア、リフト・バレー地域の和解の為の平和仲裁の展望’という報告の中で“GPFがリフト・バレー地域で、選挙後に激しかった部族間の葛藤を解決して和解を成すのに大きく寄与した”と評価している。

‘ホットスポット’モロ市も痛みを踏みしめ活気を取り戻す

ナクル市からムタテスクールに寄って、ならされていない状態の非舗装道路を一時間余り更に入って行くと‘モロ’という村が現れた。

ケニア最高の農耕地域であるモロ-クレソイ地域は、広いマウ森林地帯(東アフリカの最大土着森林、67万5000エーカー)があり、ヴィクトリア湖とナクル湖へ流れていくウンジャロ・エワソ・オンイロ・ソンドゥ・マラ川によるケニア最大の淡水地域でもある。

ここもやはり2008年流血暴動の震源地になった。異なる部族で構成された、100万人の人口を有するモロは、リフト・バレー地域では被害が最も激しかった。彼らは自らここをいまだに‘ホットスポット’と呼ぶ。平和が去り、持続的な不安と果てしなく続く民族間の暴力は、モロ地域の豊かな生気を追い出した。この村に入る前、火災によって骨組みだけ残った建物、あちこちで家を失った人々が居住している難民キャンプが所々に見えた。一時、有名だった観光ホテルも崩れてしまったというだけに、当時の暴力がどれ程破壊的だったか想像することができた。

ここで出会ったウェスリル・ナカトという青年は、ケニアの土着語であるスワヒリ語で‘共に’という意味の‘ポモジャ’青年会を率いている、この地域の代表的な青年活動家だ。彼は“この地域で数年間にわたって多くの衝突があり、一番の犠牲者は青年たちだった”と説明した。若者の大部分は、当時引き起こされた蛮行を直接目撃し、ある者は直接巻き込まれもした。また家族と親戚は、家がすべて焼けてしまったために家を離れ、負傷したり殺害されたりしたというのだ。

彼がGPF財団と共にポモジャ青年会を率いている理由も、その当時の悪夢を二度と繰り返したくないためだ。ポモジャ青年会は地域青年を対象に、人性教育、スポーツを通じた友情交流、環境浄化活動などを実施している。お互いに異なる部族と団体の若者達が共同で地域社会の為の活動をしながら、敵でなく一つのチームであるという意識を育てていっているという。

モロ市の19の区域の代表で構成された平和委員会の議長を受け持っているエリウド・キボイ。彼もモロ市の平和に貢献したGPF財団の役割を強調した。村の入り口で出会った彼は“GPF財団は国際的なNGOとしてはほとんど唯一の団体としてこの地域に入り、平和の為に努力した”とし“その結果2010年憲法制定の為の国民投票で一部の反発があったが、家一軒が焼ける程度で大きな衝突を防ぐことができた”と言った。

どの地域に行っても、最も生気に満ちている所は市場である。キボイ議長は、取材チームを在来式の市場に案内した。市場の一部には雨を防ぐ屋根が設置された所もあったが、大部分では床のビニールの上に商品を陳列している商人が多かった。主に衣類と器、野菜と簡単な食べ物が板の上に広げられていた。赤ん坊を横に置いて商売をする若い女性が少しはにかんだ笑みを見せたのを除けば、市場の人々の表情は活気に満ちていた。ソウルの南大門市場のように騒がしくはなかったが、様々な部族の住民が自由に出てきて、穀物や野菜を売買した。

キボイ議長は“経済活動だけでなく、部族間の情報交流と地域の和合にも市場が大きな機能を担当している”と言った。暴動直後を考えても想像できない風景だと説明を加えた。

取材チームの一行は、モロ市場を最後にリフト・バレー地域を離れた。埃を飛び散らせながらもう一度ナイロビに入っていく車の中で“モロに平和があってこそケニアに平和がある”というキボイ議長の言葉が長い間余韻を残した。天真爛漫なムタテスクールの子供たちの手に、これ以上、木で作った武器が握られないことを願うのみだ。

ケニアの平和がなぜ重要なのか

ケニアは赤道を挟んでいるが、海抜2000m近い高地帯の地形で一年中暖かい最上の気候を有している。水資源が豊富で生産性が高い肥沃な土地が上手く開発されれば、東アフリカの国々に十分な食料を供給できる可能性が高い。水準の高い教育を受けた高級人的資源が豊富だという長所も魅力だ。またケニアの首都ナイロビにはUNアフリカ本部と国連ハビタット(UN-HABITAT)本部があり、東アフリカの関門として、この地域を代表する貿易と金融の中心地としての位置を占めつつある。ケニアが‘アフリカの黒真珠’と呼ばれる理由だ。

2010年国民投票で新しい憲法を通過させたケニアは、東アフリカ6カ国協議体(IGAD)を主導的に率いながら、スーダンとソマリアなど紛争地域に平和をもたらすのにも先頭をきっている。何より今ケニア政府と国民は積極的な開放策を広げながら、いかなる時よりも切実に自国の発展を願っている。これはケニアが東アフリカ地域で、だんだんと、より重要な位置を占めて、様々な可能性を実現するだろうという肯定的な信号だ。

しかしながら2008年の暴動による恐れから、世界資本はケニアに対する投資をためらっている。この国の安全に確信を与えられない限り、ケニア政府と国民の夢はゆっくりと成されるしかない。ケニア政府がGPF財団を新しいケニア建設の為のパートナーとして格別に考える理由だ。

ケニアは韓国の産業化過程から多くのことを学ぼうとしている。特に韓国で始まったGPFが韓国と仲介の役割を担当してくれることも期待している。この点は韓国型開発モデルを世界に、地球村の均衡発展に寄与しようとする韓国政府と企業としても関心を持たなければならない事案だ。ケニアでGPFの活動が成功するのは、それだけ良い投資環境を提供することを意味する為だ。またGPFの平和活動を通じ、ケニアの国民に形成された韓国人に対する肯定的なイメージは、これからここに進出しようとする企業には大きな利点になるだろう。

[補足]写真の説明

p.107(写真)説明

ケニア流血暴動

ケニアのルオ族とキクユ族の間で発生した大量流血虐殺事態である。2007年に行われたケニア大統領選挙で、キクユ族出身の現ムワイ·キバキ大統領と、ルオ族出身のライラ·オディンガ総理が対決することになった。ケニア人の高い参加率の中で行われた選挙は、キバキ当選宣言で突然終結、不正選挙疑惑に包まれる。首都ナイロビを始め、ケニア全域で、キバキ大統領の退陣と選挙の再実施を要求するケニア国民の騒擾事態が発生、大量虐殺と放火、商家の乗っ取りなどが起きた。2008年4月に、ルオ族指導者とキクユ族指導者の連立政府が成立することにより、1500余命の死亡者をだしたまま幕を閉じた。死亡者の大部分がケニアの西北部リフト·バレー地域の出身であったと言う程、この地域の被害が最も大きかった。

GPF(Global Peace Festival)

資源・経済・宗教・人種・環境など、国家・地域間の不均衡と理解不足を打破し、地球村の平和を実現することを目標に、世界各国で2年に一度ずつ開かれる世界平和運動だ。国家別・地域別アジェンダを発掘、解決策を導き出し、問題解決のためのプログラムを実行する。このプログラムを推進するため、2007年非営利国際民間機構としてGPF(Global
Peace Festival)が出帆した。現在アメリカ、ワシントン本部と、全世界22カ国に支部を置き、GPF企画と財源調達、開発途上国や低開発国家の自立支援、UNの持続的な世界開発活動を助けている。

リフト·バレー地域にあるムタテスクールの子供たち。2008年ケニア暴動で学校が焼けたが、今は希望に目を輝かせている。

p.109(写真) 説明

GPF財団の活動

‘ナイロビ川 浄化運動’も大きな呼応

GPF財団がケニアで取りかかっている国際NGO活動の中でも注目すべきナイロビ川は、復旧が不可能な程汚染された河川だった。リフト·バレー地域から帰って来た翌日、GPF傘下で ‘ナイロビ·ピース’活動を率いているジャぺス·オダ氏と、ナイロビダム見学に行った。彼は“この河が浄化される前には、あらゆるごみが腰まであがってくる程だったが、誰も掃除をしようとは思わなかった”と、当時の状況を回想した。

2008年にGPFが成功裏に率いた浄化作業は、単純な掃除に終わるのではなく、ナイロビ川近隣に住んでいる住民に主人意識を植え付け、自ら参与させたという点で、良い成果として認められた。まるで韓国のセマウル運動のような、共同体単位の精神文化革新運動だといえる。

ナイロビダムは、1950年代半ばまで、ナイロビ市の主要飲料水源だった。しかし1990年代以降は、各種のごみと浮遊植物でその表面が完全に覆われるようになり、水資源としての機能を失った。意欲のある人々が、2002年からこれらを掃除し水をよみがえらせるための計画を立てた。その後‘ナイロビ貯水池復旧プログラム(Nairobi
River Basin Program)’という名でUNが関心を持つ環境プログラムになった。しかしUNとケニア政府が、海外支援を受け多くの努力を傾けたが実効をあげられなかった。この時ナイロビ川浄化運動の成功的な結果に感動を受けたオディンガ総理が、2010年6月GPF財団の文顯進会長がケニアを訪問した時、直接文会長をナイロビダムに招待し、自身が担当しているこのプロジェクトに共同参与してくれることを論議したのだ。

オダ氏は、ナイロビダム上流に位置しているキベラ・スラム地域の貧民街を指した。ナイロビ最大の貧民街だ。彼は“ここの住民たち、特に若者の意識を変えなくては、ナイロビ貯水池復旧は夢見ることすらできない”と言った。

彼は地域の代表たちに会い、趣旨を説明して3次にわたって青年たちを集め教育した。その結果、約500名のボランティアを結成し、3ヶ月の間水面を覆っていたごみと浮遊植物を取り払った。今やっとスタート段階だと言う。

オダ氏は“このプロジェクトはキベラ・スラム青少年の啓蒙運動として、近隣の学校と協力関係を結び、持続的に推進していく事”を明らかにした。

ナイロビ川とナイロビ貯水池浄化プロジェクトの成功的な事例は、他の国のGPF活動にも適用され、平和の河(River for Peace)プロジェクトとして発展している。最近ネパールGPF財団は、国家の象徴であり神聖な河として知られているバグマティ河を浄化する事業を推進している。

p.110~111(写真)説明:

1.種族間の暴力で最も被害が大きかったモロ市の最近の全景。

2.モロの市場。依然として雨を防いでくれるテント一つ無いけれど、人々は再起を夢見る

3.GPF財団と共にリフト・バレーの平和のために常設された‘平和警察’が(月刊中央)取材陣のインタビューに応じている。

p.114(写真)説明

ケニアGPF行事盛況裏に開かれ

 

アフリカのトップたち”若者たちの啓蒙”に大きな関心

2010年11月18日午前10時、ケニア、ナイロビ市内に位置するケニャタ・インターナショナル・コンファレンスセンター(KICC)で、GPF財団が主催したグローバル・ピース・コンベンション(GPC)開幕式が開かれた。この日の行事にはムワイ・キバキケニア大統領、ギルマ・ウォルドギオルギスエチオピア大統領、ジェイムス・マンチャムセーシェル共和国建国大統領、ホセ・デ・ベネシア前フィリピン国会議長、グッドラック・ジョナサンナイジェリア大統領特使資格で参席したマナラン・マク広報大臣、韓国のソン・ヨンソン国会議員を始めとした各国の指導者が大勢参加した。ケニア政府からはライラ・オディンガ総理とカロンゾ・ムスヨカ副大統領を始め17の政府の省庁の大臣・次官全員も席を占めた。

政治指導者だけでなく宗教指導者も、この日席を共にした。イギリス聖公会のエリウド・ワブカラケニア大主教を中心にケニア・プロテスタント協会会長ジジフ・メス牧師が取り持つ超宗教会議にはブラジル・神の聖会教団設立者エマノエル・フェレイラ牧師、アメリカのロバート・シューラー牧師、インドネシア最大のムスリム連合NU財団のマルスジ・サウジアラビア副総裁など、宗派と教団を超越した聖職者が多数参席した。

GPF財団の文顯進会長は行事の演説で“平和の総体的な解決策”を強調し、“社会全般にわたって、道徳的で革新的な指導力が必要だ。特に第三世界の人口の60%以上を占めている若い人々を啓蒙して、自立精神と主人意識を持たせて、正しい国家観と世界観を植えつけてあげなければならない”と言った。今回ケニアの行事でも若い未来の指導者が集まる国際青年指導者会議が別途に開催され、アフリカ指導者たちは、各国の若者の啓蒙に格別な関心を見せた。行事は30に達する多様な主題の会議と最終日の祝祭行事を進行し、2泊3日の間続いた。

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