ネパール アヴェニューTV局におけるインタビュー番組

** ビデオはこちらへ(英語):http://vimeo.com/16337667

司会者:まず最初の質問ですが、博士はいつでもエネルギーに溢れておられますね。スピーチをなさっている時も、人と話しておられる時も。このエネルギーの秘密は何でしょうか?

文博士:はは、おほめ頂いてありがとうございます。ご存知のように私は中年の男ですから、中年の男がエネルギーに溢れていると言われるのは、大変なほめ言葉ですよ。それは私の情熱の故だと思います。生きていて情熱を持っていなければ、エネルギーも出てこないでしょうね。

司会者:ビジネスに対する情熱ですか、それとも平和運動ですか?

文博士:そうですね、自分のやっていることに対する情熱ですね。特にここネパールでは、平和運動ですね。というのは、ネパールの平和は、この国にとってだけではなく、この周辺地域全体にとっても大変重要ですから。ネパールの歴史を見てみれば、ここはいつも東と西、北と南の交差点になってきました。ネパールの民族的な多様性を見てみましょう。シェルパと彼らのモンゴル的伝統、そして南にはインド系の民族の基盤があり、またその中間のいろいろな民族、まさにこれこそが中央アジアの歴史的な交差点です。例えて言えば、ネパールはヒマラヤの冠をかぶっているので…そして、ここは霊的な場所であり、ブッタの出生地でもあります。それに、良いことにしろ、悪いことにしろ、ここはこの周辺地域の人々にとっての、光となることができる場所なのです。ですから、今日の世界の中での、この周辺地域の状況を考えると、私はネパールにおける平和が、中央アジアと南アジアにとって、とても重要であると信じているのです。

司会者:あなたは民族的な多様性について話されましたが、それは利点だと思いますか?それとも、不利な点でしょうか?

文博士:私はそれはネパールにとってたいへん有利な点だと思います。2500万という人口の基盤を持つネパールが、もしも国内のすべての民族的派閥を一つにまとめることができれば、その民族的多様性は、他の多民族国家に対して模範となることができます。ですから、ここネパールで私が提唱し続けているのが“神の下の一家族”(One Family Under God)というビジョンであり、それは私達が持っている民族、氏族、国籍、宗教などの自負心を超えて、私達は共通の人類であると認識させてくれます。もし、これがネパールの人々を統一させるビジョンならば、私はそれはネパールが大いに誇れるものになると思います。

司会者:先日、あなたは__スタジアムで開かれた、南アジアグローバルピースフェスティバルで、非常に情熱的なスピーチをされましたね。そのスピーチをされる前と、スピーチをされている間に、どのようなことを考えておられましたか?

文博士:若者のエネルギーですね。

司会者:それだけですか?

文博士:それは、凄いんですよ。いつでも若者と話をすると、私は彼らからエネルギーをもらうんですよ。先ほど、私がとてもエネルギーがあるとおっしゃいましたが、実は私は、聴衆や私の話す相手からエネルギーをもらっているようです。ですから、その人たちの中に情熱を感じると、私はさらに情熱的になります。そして、昨日驚いたことは私達は人類一家族であるという“神の下の一家族”(One Family Under God)というビジョンに対する若者の情熱です。もしも私達が、共通の霊的遺産を認識することにより、自負心という衣を脱ぎ捨てることができれば、神様と人類の前で裸で立つことができるのですから、私達は共通性を持った人類となるのです。ですから私は、これこそがたくさんの若者達が共鳴することができるメッセージであると思いますし、それを実際目の当たりにして非常に感動しました。

司会者:あなたはネパールの若者が他の国々の若者以上に情熱的だと思いますか、それとも大体同じくらいですか?

文博士:不思議ですねえ、というのは私が帰って来る時に、スタッフのメンバーが“まるでジェットコースターに乗ってるみたいでしたね”と言っていました。というのは、私は今まで世界中の若者に話す機会が何度もありましたが、私の見たところでは、どこの国であろうと人々は同じです。アメリカ人であろうと、韓国人、ヨーロッパ人、アフリカ人、中東人であろうと、若者はどこでも全く同じです。なぜなら、若者の前には未来があるからです。ある意味では、彼らは夢を見る者なのです。彼らはビジョンと方向性を探しています。彼らは目的と意味を探しています。私はいま40歳で、友人と話すとき私はよく人生の困難について語ります。でも、若者はまだ困難について話すだけの人生を経験していません。だから彼らの前にはただ未来があるのです。私はそれが人間の肯定的な要素だと信じています。そして、自分自身や環境をより良くしたいと思う人は、若者の持つ楽観性が必要なのです。それが…

司会者:たとえそれが何であれ?(たとえあなたが何歳であれ?)

文博士:そうです。たとえあなたが何歳であれ。先ほど私はとてもエネルギーがあるとおっしゃいましたが、おそらくそれは、私が永遠に若者だからでしょう。それはわかりませんが、私は何かの状況を見る時、そこに問題や困難さを見るよりも、可能性と機会を見ようとします。だから、私は自分が若者であると思います。

司会者:グローバルピースフェスティバルについて話して頂けますか?どうしてその開催地にネパールを選ばれたのですか?どうして南アジアのほかの国々、例えばパキスタンとか、スリランカ、アフガニスタンとかにしなかったのですか?

文博士:それはとてもとてもよい質問ですね。それは私が歴史学科の学生だったからだと思います。
既にご説明したように、ネパールはまさに北と南、東と西が出会う、アジアの交差点です。ですから、もしも平和がこの地に来ることができるとすれば、それは非常に意義深いことです。というのは、ネパールは現在自国のアイデンティティーを定義しようとしている段階ですから。国のアイデンティティーがすでにある他の国とは違い、ネパールは今なお自国のアイデンティティーを定義しようとしているところなのです。そして、ネパールの多様性はこの国を独特にしているものであり、それはこの国の歴史的伝統と繋がっています。ネパールはアジアの北と南、東と西の交差点なので、ここにアジアの全領域が入っています。もしも平和をネパールにもたらすことができれば、たとえネパールが小さい国だとしても、この周辺全体に平和の可能性の土台を築くことができるのです。だから私達はここに来たのです。

司会者:GPFは世界中の他の平和運動と比べて、どこがどう違っているのですか?私はたくさんの平和運動があると思いますが、GPFの特別の点は何ですか?

文博士:そうですね、公式的にこの運動を始めてからのわずか3年で、私達は世界の6大陸で100万人以上の人々と関わってきました。驚くべきことは、GPFの主要なビジョン目的である“神の下の一家族”(One Family Under God)に対し、人々が非常に共鳴するということです。元共産圏国家のモンゴルから、仏教国であり神道国である日本、キリスト教国のアメリカ大陸、部族国家のアフリカ、イスラム国家のマレーシアなど、GPFはこの一つのメッセージによって、すべての異なる派閥を一つにし、平和の理想を促進しています。そして、GPFの根本的なことはその霊的なビジョンです。私はたくさんの平和運動が明確なビジョンと、特に霊的な要素を持ち合わせていないと思います。私はこれがGPFFをとても特別なものにしている点だと思います。

司会者:あなたはネパールにおける政治的な興味や野心を持っていますか?それとも、平和と人々にフォーカスするだけですか?ちょっとくだらない質問かも知れませんが。

文博士:そうですね、政治的プロセスは私の範囲を超えています。それはとても興味深いですけど、ネパール人でない者にとっては、時々理解し難い事もありますね。ですから、答えはノーです。私は政治的プロセスにはそれほど興味がありません。しかし、私達は平和のためにこの国を一つにする共通の原理や価値観、そしてこの国を一つにする国家のアイデンティティーに基づいて、政治的所属を超えて各政党を取り込んでいく必要があると思います。宗教的団体も同じです。彼らも各自の伝統的信仰を超えて、平和のために、共通の土台の上に来なければなりません。それと、付け足して言いますが、私は本来神の人間、または霊性を持った人間には、政治的野心があるとは思っていません。これは公共サービスの生活をしたい人々のことではなく、霊性に根ざした側面において、誠実に努力している人々のことですが、私は彼らには、政治的野心があるとは思いません。ともかく、私が見た限りではそうです。

司会者:あなたが“神の下の一家族”(One Family Under God)と言うとき、ある人々はこれは宗教的ブームであり、キリスト教やキリスト教支配力を促進することが目的ではないかという印象を持つかもしれません。もし誰かがそのように言った場合、あなたはこれに対してどのように反応しますか?

文博士:私は、どうやらあなたは、全人類のの96%に当たる人々と意見が違うようですが…と言うでしょう、なぜならそれだけ多くの人々が何らかの信仰を持っているのです。このことはたしかPew研究所が調査していたと思います。私は、数値の正確さは保証できませんが、世界中の80から90%の人々が、全人類の共通の霊的伝統の根源である、創造者が存在していると感じているというのです。
私達がその創造者を神と呼ぼうと、ヤハウェ、アラー、万有の創造者、と呼ぼうと、それはどちらでもよいことです。重要なのは、一人の創造者がいるという事実を、ほとんどの人々が認めているということなのです。もし神という言葉が不快感を与えるか、もしくはキリスト教信仰の反映だというならば、あなたは心をちょっと広げなければならないですね、と私は言うでしょう。なぜならあなたがスローガンを作り、キリスト教には“神の下の一家族”(One Family Under God)、イスラム教には“アラーの下の一家族”(One Family Under Allah)、また他の宗教には“その他の何かの下の一家族”(One Family Under Something Else)というように作ったとすれば、結局は、信仰を持った人々を分裂させているのと同じ枠組みに、陥ってしまいます。ですから、より適した用語が不足しているので、私達は“神の下の一家族”(One Family Under God)というビジョンに留まるしかないのですが、神について言及する時に、私達は一人の創造者について語っているのだと、最善を尽して説明します。そして、私が発見したことは、世界中のたくさんの信仰をもった人々が、彼らの伝統的宗派が何であったとしても、事実は事実として受け入れることのできる、心の広さと寛大さを持っているし、しかもその事実に共鳴するということでした。

司会者:用語の誤解の問題についてですが…

文博士:それはですね、言語はいつでも壁になります。言葉もいつも壁になります。もし私達が、個人の繊細さに対処するために言葉でもって何かをやろうとしても、それは難しいものです。ですから、私は最も重要なことは実は教育であり、どの立場からの観点なのかを明確にすることだと思います。

司会者:それでは、根本的な問題に戻ってくるようですね。どのようにして宗教運動と霊的運動を区別するのか、さらに言えば、宗教と霊性の問題ですね。このことに関して多くの混乱があります。人々は霊性を宗教だと思ったり、また、宗教を霊性だと思ったりしますが。

文博士:私は、いくつか明確にしなければならない点があると思います。そして、この問題を取り上げて下さってありがとうございます。そうですね、ご存知の通り、超宗教運動は伝統的教派による取り組みでした、つまり、各宗派が、自己の宗派に対する理解と寛容を促進するためのものでした。ところが、超宗教運動ということでGPFFが行ってきたのは、ある特定の伝統的宗派を促進するかわりに、“神の下の一家族”(One Family Under God)というビジョンからもたらされる、普遍的原則と価値を促進しているのです。これらの普遍的原則と価値は、すべての伝統的宗派に、共通の糸として広がっています。例えば、信仰を持った人々であれば、ほとんど誰もが、より善い為に生きることの重要性を認識しています、それはイスラム教徒、仏教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒だあろうと皆同じです。しかし、私達は何度もそれらを軽視し、信仰を憎しみと戦いの道具として用いています。まさにこのことがあなたもおっしゃったように、地球レベルで起こっています。それゆえに、すべての主要宗教の共通の糸として広がっている基本的原則の重要性を、もう一度前面に出さなければなりません。ですから、超宗教に対する私たちの基本的立場は、ある伝統的宗派を促進するというよりも、“神の下の一家族”(One Family Under God)というビジョンに基づいた、普遍的原則と価値観を促進するという点において、他に類のないものだと思います。

司会者:あなたは宗教と霊性の誤った考えは、教育欠如の問題だとおっしゃっているのですか?

文博士:それらはたしかに混同しやすい言葉ですが、もしそこれらを簡単に説明せよということであればですね…霊性について語るとき、私達の霊性についての解釈はこれです、というのは、この霊性については、人それぞれのさまざまな解釈がありうるからですが、私の解釈は次のようなものです。
それはある特定の教義や伝統を提唱しているのではなく、私達の信仰生活や精神的本質に影響を与えている普遍的原則を語っているのです。ということで、このことがまず第一の原則です、もし明確にするならばですね。

司会者:確認したいのですが、もし私達が宗教から教義を取り除き、普遍的原則だけを取り、例えば愛、慈悲、、

文博士:私は宗教を取り除くことを提唱しているのではありません。とても純粋な信仰を持った人々がたくさんいると思います。私が言いたいことは、特に伝統宗教に対してお互いに違いがあること以上に、もっとたくさんの共通性がお互の間にあるということなのです。宗教は彼らの特定の教義を広げるために相違点に焦点を当てる傾向があると思います、そうだと思いませんか?しかし、宗教が紛争や戦いを正当化する道具となっている今日現代私達が生きている世界の観点から状況を考えますと、信仰を持った人々が、私達は、80%から90%は、合意点を共有しているのだということを認識しなければなりません。ですから、普遍的原則に焦点を当てたGPFFのイニシアチブと超宗教運動が、幅広い人気を集めている理由は、信仰を持った人々も、或いは自分はどこの伝統的宗派にも属していないという人々も、この基本的な点を認識しているからです。ですから重要なことは、いかに共通の基盤を作るかということなのです。そういう言い方で分かっていただければ…

司会者:文博士。あなたはどのように平和というもの定義しますか?平和とはただ単に暴力の不在でしょうか、もしくはそれ以上なものでしょうか?

文博士:平和とは暴力の不在というのは少し簡単すぎると思います。私は平和というのはそれ以上だと思っています。あまり難しい哲学的な表現は避けたいですが、平和とは利他的になろうとする思い、そして、自分よりもより大きな善の為に生きようとする心情を、育むことだと思います。そこから平和が始まるのです。私の経験からして、それは自己中心的な偽りの愛とは逆の真の愛、真の愛の文化だと思います。真の愛は他の誰かの為に生きようとする利他的な愛です。ですから、平和を築く上での基本的なことは、この文化的模範を整えることです。これがGPFFが、超宗教、家庭、奉仕活動という、三つの土台を持っている理由の一つです。そして、私達は、奉仕活動を通して各自が体験しうる、人生観を変革させるような経験を含んだ、人格教育の要素を取り入れた心情文化を強調しています。私は、平和は、たんに暴力行為をしたくないというように人の心を作り変えるだけではなく、心を清めることにより、心から他者のために行きたいというように心を作り変えることによって可能であると思います。心から他者のために行きたい自分となるのです。

司会者:霊的かつ奉仕の指導者として、ネパールの平和のために何か提案はありますか?ケニヤでもネパールでも当てはまる一つの解決策があると思われますか?

文博士:いいえ、それはないと思います。最も重要なことはネパールにおける主人がいなければならないということです。別の言い方をすれば、ネパール人は、自分達の状況を改善してくれるのは他国の人々でなく、彼ら自身であるという認識を持つ必要があるということです。しかし、私たちがそれをどのように手伝えるかというと、まず問題点が何であるかをはっきりと指摘することにより、ネパールが陥っている苦境から脱して、平和を実現する助けをすることができれば、ネパールは共栄の地となるとともに、全ての人々に機会をもたらす地となるでしょう。ですから私は、まず何よりも重要なことは、主人意識が確立されなければなりません。そして、今、国中でそれが起こっているじゃありませんか。特に昨日のスタジアムで“神の下の一家族”(One Family Under God)のビジョンに熱狂した数千人の若者のなかにそれを見ました。かれらはまさに主人意識を持ちたいと思っていますよ。今、必要なことは、彼らにこの国の変革者となりうる指導者になるための、機会を与えてやらなければなりません。しかしながら、そのための第一段階として、まず自分の人生に対して主人意識を持たなければなりません。

司会者:あなたは平和とは政治的合意で成し遂げられると思いますか?それとも、人々の心の通じ合いでしょうか?またどちらか一方なしでの平和というものが想像できますか?

文博士:あなたはほんとうにいい質問をしますね。それは今日のアメリカにも当てはまる質問です。私は丁度アメリカからネパールに飛行機で来たばかりです。今、アメリカで何が起こっているかご存知ですか?アメリカの人々は政治的過程に対する信頼をなくしました。ですから今、彼らは国の行方に対し、自分達で責任を持とうとしています。11月に行われる選挙で、政治権力という観点では大きな議席の変化が見られるでしょう。結局は、民主主義制度では、政党や政治家は国民の僕なのです。結局はね…

司会者:彼らが信じているように、、、

文博士:それは正しく機能する民主主義ではありません。政党と政治家は国民の僕でなければなりません。それが民主主義に対する現代的な理解です。逆ではありません。人々が政党や政治家の僕なのではありません。民主主義国家は混乱しているので、例えばあなたのような教育を受けた若者が、この国に大きな変化をもたらすことができると信じます。よい民主主義国家を造る基本となるものは、自分達の望む理想の国家を造るために、投票権を活用することを知っている、知識があり、教育された市民です。ただそこにもし無知があれば、大衆扇動や、国民が願わない方向へ国が動いてしまう可能性に道を開いてしまうでしょう。ですから、最も重要なことは教育と指導者が必要です。特に問題を理解するために必要な手段と能力を持った、ネパール人の指導者が必要です。そして最も大切なことは、自分自身よりも何か大きいものの為に生きたいと思う、利他主義的な精神だと思います。ネパールの場合、もしあなたがネパール人なら、ネパールの国のために生きたい気持ちです。もし国を超える大きい願望があるなら、南アジア、中央アジアという周辺地域のためにということです。もしそれ以上の願望があるなら、世界のために生きなさいということです。この世界を変えるのは革新的な指導力と道徳心を持った人々なのです。

司会者:文博士。あなたはService for PeaceとGPFの創始者ですね。このどちらも地球規模の現象となってきました。しかし、あなたは、同時にビジネスのリーダーでもあります。スピリチュアルリーダーであり、奉仕リーダーであり、ビジネスリーダーでもあります。ときどき、あなたの体の中で異なる自分が住んでいるように思われますか?

文博士:いいえ、私はそうは思いませんけど、

司会者:どのように調節しているのですか?

文博士:いつも信仰的な人々は、山奥に住む神秘家であるべきだという神話があります。それはそれでいいですが、世界に出て、世界をより良くしようと試みている信仰的な人々もいるのです。ですから、私は私の子供のため、ひ孫のため、そして神様の人類一家族の一員である人々のためにより良い世界にしたいと思っている信仰を持った人間であると思います。ですから、ビジネスで成し遂げられた業績は、私に恩返しする力を与えてくれました。ですから、私はそれを否定的なものとは考えていません。私はそれを肯定的なものと見ていますし、他の人々にも、自分自身に与えられた祝福を、より大きな善と目的の為に用いてほしいと言いたいです。

司会者:仮定的な質問をしてもいいですか?もしあなたがとても貧しいネパール人として生まれいるとすれば、それでもあなたは世界平和の夢を追い求めますか?

文博士:そうですね、この質問の答えはですね、60年前、韓国は世界で一番貧しい国でした。私はそのときの戦争を経験した家族の出身なのですよ。韓国人は何も持っていませんでした。しかし何もない状態から、ここまで築き上げました。そして今あるものから、私達は無にも持っていない人へ何かを与えたいと思っています。大抵、何も持っていない状態などを経験した人々が、今同じ状況を経験している人々の苦しい立場を知っているのです。ですから、私がネパールにいる理由が私は人間に対して信仰を持っているからだと言えるかもしれません。ですから機会さえ与えられれば、ネパールも韓国がやったように、或いは私の家族がやったように、自ら立ち上がることができるでしょう。ですから問題は、貧しいところから出発するとか、どこから出発するかということではないと思います、というのは、というのは、他にも無いもない状態から出発してこの世界に大きい変化を起こしたたくさんの人々の例があるじゃないですか。ですから、結局はあなたの目的と方向性が、変化をもたらすのです。

司会者:もし私のような平凡な人間が奉仕リーダーとなるためには、どうしたらいいのでしょうか?

文博士:外に出て奉仕しなさい。足がありますか?足がありますか?

司会者:ありますねえ。

文博士:腕はありますか?

司会者:はい、あります。

文博士:いいですねえ、それでは、ネパールをより良くしたいという気持ちは持っていますか?

司会者:はい、もちろん持っています。

文博士:じゃあ、やりましょう。ご存知のとおり、資源や資力はあまり重要ではないのです。変化を起こしたいという願望があることが全てなのです。あなたの貢献できる内容がいくら小さかったとしても、もしもそれが、このネパールという国の成長という肯定な目的に使われるとしたら、それがこの国にとっての損失となるでしょうか?それは間違いなく利益となります。あなたのような人が1000人いると考えてみてください。あなたは1000の倍数から成っているのです。それでは、10万人いると考えてみてください。あなたは10万人の倍数から成っています。それは大きな変化を生みます。ですから、すべては変化を起こしたいと願っている一人の個人、また主人意識があり、情熱がある一人の個人から始まるのです。それは資源や資力とは何の関係もないのです。

司会者:リーダーシップは地位とは何か関係があるのでしょうか、それともないのでしょうか?

文博士:私は以前若者の前でたくさんのスピーチをしていました。そして、、

司会者:どうしてこの質問をするかといいますと、ネパールの人々はリーダーとなるためには、社会的地位を持つことが必要であるというコンセプトを持っているからです。私はそれは間違いだと思うのですが。

文博士:そのとおりです。地位はリーダーシップとは何の関係もありません。地位、富、権力などは、リーダーシップとは関係がないのです。リーダーシップとは、社会に肯定的な影響を与えようとする行動意欲を他の人々の上に引き起こす能力のことを言うのです。ですから誰でもリーダーになれます。実際に社会的地位のある人で、その全く反対のことを行っている人々はたくさんいます。富を持った人で、それと全く反対のことをする人々はたくさんいます。権力を持った人々で、それと全く反対のことをする人々もたくさんいます。こういうものはリーダーシップではありません。リーダーシップとは、人に奉仕したい、より大きな善のために生きたいという自分自身の願望によって、他の人々を感化する能力のことを言うのです。それがリーダーシップです。

司会者:その一つのよい例がマハトマ・ガンディーだと思います。彼は、地位とか権力を持っていませんでしたね。

文博士:その通りだと思います。そしてすべての偉大な宗派の創始者は皆同じだと思います。偉大な宗派の創始者を見てみると、彼らも何も持っていませんでしたけど、ビジョンを持っていましたし、そしてそれを果たすためすべてを捧げた人達でした。歴史を見てみればお分かると思います。すべての伝統と文化には、それぞれの模範的人物がいます。それがリーダーシップなのです。

司会者:文博士。あなたはたいへんなスポーツ選手だと聞きました。あなたは1988年と1992年のオリンピックの韓国の代表選手です。そのときどのように感じられたのでしょうか?そして今このような大きい祭典を国を代表できることはどのような気持ちなのでしょうか?

文博士:そうですね、それはちょっと違ってますね。私は88年と92年のオリンピックでは、私の国の代表として、韓国の乗馬チームの一員でした。しかし、私が今行っている仕事は、韓国だけを代表しているのではありません。私は“神の下の一家族”(One Family Under God)という普遍的な夢を共有している、全世界の後援者の人々を代表していると思っています。昨日あなたはGPFをご覧になったと思いますが、それはただ韓国だけを表している訳ではありません。それは世界の何十億人の人々の共有した夢と目標を表している祭典なのです。ですから、私は本当にこれは歴史的だと思ったのは、ネパールでは、祭典の中で、普通ならば祭典のクライマックスとして、諸宗教が一緒に行うウォーター・オブ・ピース・セレモニーを行っただけでなく、それに続いて、全ての政党の代表が集まって、神の下の一家族というビジョンの下に、ネパールに和解と平和をもたらすことを宣誓する宣言文に署名をしたことです。私は、12カ国を代表するVIPやネパールの国内の団体を代表するVIPと一緒にいましたが、世界からの代表団の人達は、これがどれだけ歴史的な事件であるかよくわからなかったようですが、とりわけネパールの代表団の人達は、口々に“貴方は歴史を創っている。こういうことは今まで起こりえなかったことだ!”と叫んでいました。ですから、ビジョンの力が、力を持っている人々の想像力に火をつける-こういう各政党を代表するような人々や、何百万人の宗教人口を持つ各宗派を代表する実力者達、そして大学生や高校生、プロフェッショナル、医師達の心に火がつくということが、如何にこのビジョンの力が、世代を超え、政治的立場を超え、宗派の違いを超えて、真剣な人々を一つにし、このネパールの国で平和の可能性を讃えることができるんだという、その生きた証拠であると私は信じます。この一つの…

司会者:ビジョンの下でですね。

文博士:ええ、“神の下の一家族”というビジョンの下にです。あのビクトル・ユーゴが、“侵略する軍隊よりも強力なものは、時を得た思想である”と言ってますよね。

司会者:文博士、博士はコロンビア大学と、その後でハーバード大学で勉強されていますね。どちらの大学も世界最高レベルの大学であることは間違いありませんが、とりわけハーバードでは、平和とか、霊性とかいったものは教えていないのではないですか? 一体どういうきっかけで、この方面に関心を持たれたのですか?

文博士:はは、まずは私が行った大学に対し、多大な褒め言葉を頂いたことを感謝します。しかし、同じくらい優秀な学校は他にもたくさんあると思います。確かにこういう大学で学べたことは幸運なことだったと思います。しかし、こういうことを学んだのは、私自身の個人的な信仰と、家庭で受けた教育、それから自分自身の人生経験ということになるでしょう。それらの寄せ集めですね。あなたが何歳になられるかは知りませんが、あなたも一人の若者でしょう。自分自身の考えや霊的直感などをどこで得たかを定義するのは簡単なことではないでしょう。それは、自分の人生そのものから、通った学校だけでなく、出会った人々、目で見たこと、経験したこと、育ってきた環境等々、様々なものがあります。それら全てが自分を形作るものであり、タペストリー(つづれ織り)のようなものですね。

司会者:奉仕と霊性の指導者として、ネパールの人々へのメッセージは何でしょうか? メッセージがありましたらお願いします。

文博士:そうですね。私からのネパールの人々へのメッセージはこれです。私がここネパールに来た理由は、“神の下の一家族”ゆえです。私は、ある意味ではネパールは交差点に立っていると理解しています。今年はネパールが新しい憲法を制定して、新しい国として出発する年だと理解していましたが、政治的な行き詰まりにより、そのプロセスが手間取り、やや不安定な感覚を生んでいます。しかし、あせって憲法の内容に取り組む前に、まず私達は自分達の願う国を作るためには、まず取り組むべき課題は何なのかを考えてみる必要があると思います。ですから私は、ここにこうしてグローバル・ピース・フェスティバル財団がやって来て、この国が誕生した時から、国民意識の中に埋め込まれている霊的原理や価値を忘れないようにという命題を提起したことは、この国にとっては思いがけないことだったと思います。それに、私は韓国人として生まれましたが、米国市民となる道を選びました。私が米国に惹かれた理由は、教育とかそういうものだけでなく、アメリカンドリームがあったからです。私にとってアメリカンドリームとは、単なる経済的な夢でも政治的な夢でもありません。それは、人間が、人間の作った機関によってではなく、神によって基本的人権を与えられたのだと公認する国があるという夢です。そして、その基本的人権を守り、維持することが、人間の作る機関、とりわけ政府の義務であるということです。そして、独立宣言文の別の内容を見てみれば、もしも、政府機関がその権利を侵した場合には、その国民には、政府を変える権利があると書かれています。別の言い方をすれば、神によって私たちに与えられたこれらの基本的人権は、米国憲法によれば…民主主義は万能薬ではないのです。霊的、倫理的な枠組みに根ざした価値と原理に基づく民主主義こそが、人々が望む民主主義です。ですから私が思うには、ここネパールの全ての国民の繁栄のため、国民のアイデンティティーを確立し、基本的人権と信教の自由を守るべく、霊的な原理と価値ならびに、“神の下の一家族”というような霊的ビジョンに対する認識を高めるための、最高の機会が訪れていると思います。

司会者:それでは最後の質問ですが、ビジネスのリーダーとして、ネパールの実業家達には会われましたか?

文博士:会いました。実は、今回のネパールにおける、南アジア地域グローバルピースフェスティバル2010の共同主催者の一つが、ネパール商工会議所連合とネパール商工会議所でした。ですから、たしかに今回はネパールの実業界のリーダー達と話す機会がありました。

司会者:事業についての話でしたか、それとも平和についての話でしたか?

文博士:社会起業家についてです。もし今お話しても宜しければ、実は私達がここネパールで推進しようとしているプログラムの一つは、韓国での経験に基づいたものです。韓国の経済的復興の推進役となった一つの要因が、政府が推進した一つのプログラムでした。無論私は政府の上からの政策よりも、むしろ公私の連携つまり、政府と民間部門、事業の連携を強調したいのです。その試みでは、国家のアイデンティティーが強調されましたが、それと同時に民間からの社会的機会が提示されました。そして、この地方共同体をベースとした、社会経済発展こそが、韓国経済が再生することのできる基盤となったのです。そして私は、それに似たことがここでもできるという確信があります。ですから私は実業界と交流しつつ、このグローバルピースフェスティバル財団のこれらの試みを宣伝したのです。これは、社会企業家や、共同体重視の事業計画などを推進することができます。貴方のような若い人たちもそういうところから関係を持つことができます。先ほど、どのようにすれば関わりを持てるかとお尋ねでしたね。たしかオーストラリアでエンジニアリングでしたか、マネージメントでしたか、勉強をされてますよね? それですよ。早速このインタビューが終わったら、すぐに地元に行って、地元の社会に役に立つ社会事業を始めることです。

司会者:わかりました。では、最後に何か付け加えることはありますか?

私は、ネパールに素晴らしいチャンスの時が来ていると信じます。地球の最高峰を頂くこの国に、全世界から人々が、最大の質問を抱えて巡礼に訪れる、どうやって平和を見出すことができるのか? どうしたら霊的覚醒や悟りを得られるのか? 等々。そのように、この地は、人々が最大の夢を見、最大の質問をしてきたところです。ですからこれはネパールに住む人々が、大きな夢を見よと迫られるならば、実際にこれ以上ないほどの大きな夢を見ることのできる時を迎えています。そして、その神から、全人類に対してやって来るところの最大の夢とは、“神の下の一家族”です。これが最後にネパールの人々に言いたいことです。

司会:文博士、本当にどうも有難うございました。お話しすることができて本当に感謝です。

文博士:こちらこそ有難うございます。

司会:本当に有難うございました。

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